もう過ぎてしまったことなのですが、多少恐縮ながら記事をアップしようと思うのです。
ことの始まりは去年のことになりますが件(くだん)のK君が突然帯広に行かないかと言い出したのです。いったい何のことかと尋ねると、「ギリヤーク尼ケ崎」が来るからとのことでした。
彼の説明によると、尼ケ崎は大道芸人であって、ダンサーであり、年齢から云って今回が得がたき最後のチャンスになるかもしれないと云うのでした。
その時彼から受けた幾ばくかの説明を繋ぎあわせると、どうもひどくユニークなダンサーのようです。しかもかなり激しい踊りをする方のようでした。
だが、残念ながら私は他に用事があってその時一緒に行くことはできませんでした。
きっこさんではないが、話はくりるんぱと変わって一年が過ぎました。
「おいS、どうだい。例のギリヤーク尼ケ崎が北見に来るんだ。今度こそ見に行かないか?」
「おお北見に来るのか、それは、いつなんだ?」
「8月の10日、日曜日だな」
「ええと、別に予定は無さそうだし・・・」
「お前は、いつも暇だろ」
「余計なお世話だ、日曜日ともなればいろいろ磯が死んだ、うるさい間違った、忙しいんだ!」
「まあまあ、そう云わずにどうなんだ?」
「おや?」
「どうした?」
「おお、珍しいことに何も予定が入っていないではないか(超驚!)」
「ああそうですか、はいはい、それは本当に良かった・・・」
という訳で、8月10日当日。何を思ったかK君は自転車に乗って30分以上も前に私のところに着きました。会場の小公園までは歩いてせいぜい二分もかからないのですが(何をそんなにはしゃいでいるんだろう)・・・ははは。
で、今回は結構気合を入れてギリヤーク尼ケ崎のことをWEBで調べてみました。
なぜならK君のいうダンサーという言葉と大道芸人という言葉がどうしても私の頭の中で折り合いがつかなかったからです。
ストリートダンサーという言葉がありますよね。私はイメージとしてラップがあり、逆立ちして頭でくるくる回るそんなパフォーマンスを思い浮かべてしまいます。
そんなんだろうか?でもお年のようだし、大道芸人という言葉とはいささか趣が異なるような気もするし、私の頭のなかは<疑問符>でいっぱいでした。
さて、開演予定は午後の二時でしたが、会場についたのは先程も述べたように随分と前のことになりました。それでも、会場の小公園は、氏の公演を待っている様子の人達が結構いらっしゃいました。
公演予定の場所には目印となる小さな幟と大きな鞄が置いてありましたが、私とK君はそこからすこし離れたベンチに腰掛けて待つことにしました。
天気予報は曇りでしたが、そのように少しぱっとしない空模様でした。
ほぼ定刻に、突然のように現れました(つまり目立たない裏手からひよっこり出て来た?)。K君の話からは派手派手しい(たとえば奇声を上げながらとか)登場を想像していたのですが、極めて静かな様子でかえって私には印象深く感じられました。
それからおもむろに、公演の準備にかかりました。準備といってもそれほど大げさなものではありません。
鞄から衣装などを取り出しまずはメークアップです。それと、音響装置の設置。そう云うといかめしいのですが、ちっちゃな今時は珍しい、なんとカセットテープのアンプなんですね。さすがにメーカーは「SONY」でしたが、トランペットホーンスピーカーを併設しているところなどは、なんとも微笑ましく感じられたことです。
いよいよ公演が始まって、待ちに待っていた彼の踊りを見ることになったのですが、さて其の踊りをどのように表現して良いのか、さすがの私も説明には途方にくれます。
敢えて説明すると、やはり大道芸人が当を得ているのかもしれません。現代によみがえった何か古き懐かしき日本の原風景という趣です。なぜなら、氏は踊りの本質を祈りと捉えているようであり、なおさらそのように私には感じられたのです。
ただ、パフォーマンスには度肝を抜かれました。まずは、初めの方の演目の「よされ節」では観客を引っ張り出していっしょに踊り始めるのではありませんか。初め私はどういう行方になるかとはらはらしましたが、出た方達が偉い!とても和やかな雰囲気を作り出してくれました。
そうして、「念仏じょんがら」ですか、観客を突き抜けて奇声をあげながら会場を走り回り水をかぶり、果ては噴水に飛び込んだ(というよりつかったというところですか)という次第です。
あの年齢、そうして身体の状態(カセットテープを押す指が震えていました>すみませんしっかり見ていました)ではかなりきつかったのではなかろうかと思いました。
会場は、正確に人数を数えたわけではありませんが思ったより盛況(全部で百人は居たと思います、いやもっと居たのかもしれません?)で、K君の話では帯広の時より多かったそうです。
あたたかい観客の拍手と沢山のおひねりとで、青空公演はとてもなごやかな雰囲気で終わりました。
その公演がおわってひとしきり尼ケ崎氏と観客の交流がありました。
まずは、先程よされをいっしょに踊ってくれたかたがたに氏がとても感謝をされておりました。
正直なところ、身体の調子が思わしくなくて良い踊りができるかとても不安だったそうです。でもそのよされで、踊る自信を持つことができたし、気持ちよく踊ることが出来たと。
私もそう思います。今日はとてもすばらしい公演に出会うことができましたが、影の立役者はあなたがたでした。
それから、北見の人達はとてもすばらしい。皆さんからエネルギーを貰うことができました。これで、自分もいよいよ踊り納めなのかとも思っていたが、またまた元気が出てきてまだまだ踊りつづけたいと思うようになったそうです。
こちらこそ、本当にありがとうございました。
不思議なことがあります。先程冒頭でも述べましたが、その日は、どうもぱっとしない天気でした。会場についたときは、半袖では少し涼しすぎるかなと思うほどでした。
ところが公演が始まると同時に、陽がさし始めました。
柔らかい緑の芝生、明るい空、吹き抜ける風、視界の中で躍動する氏の踊り、皆の笑顔。
そうして、公演が終わると間もなく元のうす曇に戻っていったのです。
私は、とても幸せな時間を過ごすことが出来たと思っています。
なお、氏は著名人とも親交があるそうですが、寺山修司氏もその一人だったそうです。
私はどういう経緯(いきさつ)だったか、かつて映画『田園に死す』を見たことがあります。とても、不思議で幻想的な映画だった記憶があります。この文章を書いているうちに、不意にそのことを思い出しました。氏の風貌と映画のイメージがなぜかラップしたからです。
ギリヤーク尼ケ崎氏については、
『ウィキペディア(Wikipedia)』をぜひご覧あれ。