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たんぽぽ・北見山下公園2007.05.29 Tuesday
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たんぽぽが一面に咲いているのは、意外に壮観である。
写真では、見づらいかもしれにが、奥のほうは一面のたんぽぽで埋め尽くされている。
私が訪れた時には、誰もいなくひっそりと静まり返っていた。
そこにあるのはただ、陽の光ばかりで、とても明るい場所であった。
たんぽぽの花言葉を、調べてみたらいろいろあるので驚いた。
それにしても、なんと、微妙な取り合わせであろうか、落差ありすぎ。
花言葉・・・「真心の愛」「神のお告げ」「愛の神託」「思わせぶり」「別離」
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照る日曇る日・中央公園2007.05.28 Monday
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昨日は、日曜日なのに最悪の一日であった。
朝から、ずっと雨模様の空で、おまけにやたら寒かった。
いったい、いまが五月だなんて、嘘だろうといいたくもなる。
別に私は、五月病ではないけれど、気持ちまで沈みこんでいきそうになる。
そうして、今日の青空である。
待ちかねたように、昼には外へ飛び出していた。
やはり「晴れの日はいいなあ」と、そよ風の中をゆっくりと歩いていたが、しかしまてよと考えた。
たしかに、晴れた日は良いが、曇る日があるからこそ、この晴れの日が気持ちよくて、貴重に感じられるのではないだろうか。
それに、もし晴れの日ばかりだったら、それはそれで具合の悪いことも起きてくるに違いない。
たとえば、農家の人は、作物が育たなくなって困るにちがいない。
そう考えたら、やはり「照る日曇る日」があって良いのだろうと思った。
ところで、皆さんは「中央公園」をご存知だろうか。
中央通りをはさんで、小公園の向かい側にある。
遊具一つ無い(私も必要ないとは思っているが)、見事に殺風景な公園である。
普段は、ここを利用する市民もいないし、夏祭りのイベント会場のひとつとして使われているくらいである。
それにしても、ベンチの一つや二つはあっても良い気がする(でもここは、私みたいな酔狂な人間ぐらいしか来ないのであろうから、ま良いかとも思う)。
古い方はご存知であると思うが、ここはかつて警察署のあったところである。
私の父は、警察署に勤務していたので、ちょっと懐かしい場所なのでした。
その父も、もう居ません。
私は、時折人間とは、儚いものだと思うことがあります。
それは、「死なない人間は、絶対居ない」ということです。
しかし、だからこそ、その命というものは大切で、かけがえのないものではないかと思うのです。
今日も、様々な事件ニュースがありました。
いろいろ思うことはありますが、明日は、分からないからこそ、今生きている一瞬一瞬を大切にしたい。
私は、そう思ってまた明日から頑張ろうと思っています。
この公園は、正面から写すと間違っても公園にはみえません。
なんとか、公園らしく見える位置から写したのがこの一枚であります。
右端に、市役所の庁舎の一部が写っております。
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我が家の桜2007.05.22 Tuesday
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今日の天気は、猫の目のようによく変わった。
昼方は晴れだか、曇りだか、はたまた雨でも降るのかはっきりしなかった。
午後になると日が照って、妙に蒸して気温も上がった。
夕方になると、少し風が吹いて、まあ穏やかな締めくくりとなった。
我が家の桜は、少し日当たりの良くないところにあるので、開花が遅れたが、其の分長く楽しめた。
ご覧のようである。
昼に写したのであるが、夕方には少し、花が散り始めている。
この花びらが散り終わると、初夏になるのか。
そういえば、今日のこの大気の不安定さは、夏を予感させている。
季節の移ろいは、知らぬ間に進んでいくものと、多少の感慨を覚える。
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オホーツク「木」のフェスティバル2007.05.21 Monday
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オホーツク「木」のフェスティバルが5/18,19,20の三日間、サンライフ北見・サンドーム北見・北見市工業技術センター・スキルアップセンター北見を会場に開催されました。
終わってしまったものを、紹介してどうしようというのだと云われそうですが、毎年行われている行事ですし、まだ訪問されていない方も、いらっしゃるかもしれません。
このフェスティバルは「オホーツク」「林業」「森林」をキーワードに「木」をテーマとした、この地域ではかなり大きなイベントであります。
近年は、来訪者が5万人を超えているとのことです。
その内容は、家具・建具・クラフト・木材製品の展示販売にとどまらず、加工機械の展示実演、木工工作の体験またオホーツクの自然に関する紹介など、書き切れないほど盛りだくさんとなっています。
ところで、皆さんは勉強が好きだったでしょうか。
皆さんもそうだと思いますが、私も子供のころは勉強が嫌で嫌でたまりませんでした。
でも本当は「ものを、知る」ということはとても楽しいことなのだと、後になってから気が付きました。
しかしそれにはひとつ条件がつきます。
それは「自分が好きなもの」「自分が興味のあること」という条件であります。
誰しも、自分のお子さんに「勉強しろ、勉強しろ」と言ったことがあると思います。
しかし、嫌なことは子供はしません。
本当に大切なことは、どうやって子供に、興味のあるものを見つけ出させるか、ということだと思います。
あるいは、ものごとの面白さを、感じさせるかということだと思います。
そのためには、生きた勉強をさせるということがポイントだと思います。
それは、机の上ではなくで、自分で実際に触れて、見て、身体を動かして、体験するということではないかと思います。
このイベントは、そういう意味からは絶好の機会であると思います。
木工製品に興味のある方ばかりではなく、お子さんのいらっしゃる方は、ぜひ一度来場されるようお勧めします。
おりしも、地球環境問題ということが、最近のテーマとして取り上げられることが多くなっています。
例えば、森林という切り口からこのことを見つめなおしてみるのも、意義のあることだと思います。
そうして、次世代を担う子供たちに、少しでも森や木のことに興味を持ってもらえたらいいなと思うのであります。
会場は「A館」「B館」「C館」「D館」に分かれています。
先日「北見園芸市」で紹介した「サンドーム北見」がA館であります。
今回は、私のスケジュールの都合(実際は単なる自己都合で、何の偉そうなこともありません)で、最終日終了間際にしか、訪問できませんでした。
A館入り口でパンフレットを求めたところ、やさしいお姉さんが飴をくれました。
それでそのパンフレットをみたところ、何と!C館の食堂に「塩焼きそば」とあるではありませんか。
うーむ、来年は早く来なければ、と思った私でした。
なお、このイベントは毎年5月下旬に開催されています。
A館入り口のコーナーです。
終了間際で、後片付けがもう始まっていましたが、最後まで熱心に取り組まれているかたも居ました。
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ウィンナーワルツとワーキングプア2007.05.19 Saturday
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標題を、随分おかしな取り合わせだと思われた方も居るにちがいない。
この前の記事「ウィンナーワルツと朝の目覚め」で書いたように、私は夢の中でウィンナーワルツを聞いていた。
目が覚めると、その曲を聞きたくなるのは、当然の人情というものであろう。
そこで私が、考えたことは確か100円ショップに、クラシックシリーズのCDがあって、其の中にウィンナーワルツも入っていたことを思い出したのである。
100円ショップとは、なんとショボイことをと思う方もいらっしゃるかもしれないが、音源に問題があろうはずはないし、デジタルである以上音質が劣るなどということもないはずである。
それで、さっそく次の日、店のほうに赴いたのであるが、商品がすっかり入れ替わっていて、残念ながら希望のものを入手することはできなかった。
そのことは、さて置きいよいよ本題に入ることにする。
100円ショップに入っていつも驚かされることは、品物の安さである。
のみならず最近は、その種類の豊富さにも、目を瞠る。
なぜそのような安い価格で、商売が成り立つのであろうか。
そのもっとも大きな理由は、皆さんもよくご存知だと思うが、商品の大半が中国製であるということである。
かつて、私は物を作ることに携わったことがあるが、専門的な目でみても、材料費位の価格で物ができているとしか考えようがないものもある。
一般的に中国の人件費は日本の1/20と言われている。
いろいろな条件があるので、この数字が正しいかどうかはなんともいえないが、いずれにしても相当安いことは間違いないのである。
もちろん、人件費だけではなく、材料費、流通費も相応になっているはずである。
だから、我々が驚くような値段で出来るのである。
さて我々消費者は安い買い物ができて喜んでいるが、しかし其の一方で、従来これらの商品を作っていた人たちはどうなったのであろうか。
つまり、職を失っているのである。
もうすこし、広げて日本全体で考えると、トータルの仕事量が減っているのである。
だから、リストラが起こり、仕事の無い人の購買力は落ち、その少なくなった購買力の奪い合いが、競争激化という形になってあらわれて、其の競争から弾き飛ばされるものが出てくる。
それが、また新たな負のスパイルの元となって、結果格差拡大、ワーキングプアとなってくるのである。
これは、現象として其の通りなのであるが、実はもっと本質的な問題があるのである。
それは「グローバリゼーション」ということである。
専門的な難しいことを、私は説明できないが、簡単にいうと地球が小さくなったということである。
これは、物理的に小さくなったということではなくて、我々の生活上において相対的に小さくなっているということである。
これは、特にテクノロジーの進歩により、最近はさらに著しく進みつつある。
以前、日本人は「総中流階級」であるといわれていたことがあった。
だが、このグローバリゼーションの中、従来のように(他国に比べて)総高給取ということは、つじつまが合わないことになっているのである。
選択肢は二つである。
ひとつは、皆で給料を減らすか(ワークシェアリングという言葉を聞かれた方もあろう。雇用の維持というような説明をされることが多いが本質は、所得の分配化である)、さもなくば経済原則の流れに任せる、それは所謂ピラミッド型所得体系である。
現在の、政府が推し進めている政策は、間違いなく後者である。
そうして、今ワークングプアということが、大きな社会問題になりつつある、というよりなっている。
重要なことは、このグローバリゼーションの波を避けることはできないのである。
出来ることは、どのように巧みに対応するのかということだけである。
日本のリーダーは、どのように対応していこうとしているのか、注視していきたい。
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悲しい出来事・林巡査部長2007.05.18 Friday
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愛知県の立てこもり事件は、今日の午後8時半過ぎ、大林容疑者の身柄確保と言うことで解決となった。
だがSAT隊員の林一歩巡査部長が殉職されている。
私の父は警察に勤務していたので、本当にひとごととは思えない。
報道によると、林巡査部長は、努力家で正義感強く、警察学校を主席で卒業し将来を嘱望されていたとのことである。
また妻(24)との間に昨年7月、長女が生まれたばかりであったという。
それを聞くと、とてもたまらなく悲しい気持ちになる。
今回の事件は、さまざまな問題を我々に突きつけていると思う。
(1)木本巡査部長は、なぜ5時間以上も放置されなけばならなかったのか。
(2)強行手段という選択肢はなかったのか
(3)指揮系統に問題はなかったのか、情報伝達はスムーズに行われていたのか。
SATはプロ中のプロである、私は気になる。
(4)最近は外国並みに犯罪が凶悪化している。法整備に遅れはないのか。
現実問題として、法が制定されたころの社会とは様変わりしている。
(5)銃規制は日本は大丈夫と思っていたのにそうではないのか。
(6)警察官の安全は、今度どのようにして確保していくのか。
装備の改良は。
とりあえず、思いつくことだけでも以上である。
林巡査部長が、被弾されたことは、確かに不運であったが、不運でかたづけてはならないと思う。
上層部も、今回のことはよく検証するとのことである。
それが、林巡査部長の死を無駄にしないことであると思う。
二階級特進とのことである、ご冥福をお祈りしたい。
なお、予定していた記事は先送りさせていただいた。
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ウィンナーワルツと朝の目覚め2007.05.15 Tuesday
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皆さんは、朝とんでもない時間に目が覚めて、寝そびれてしまうということを経験したことはないだろうか。
さらに、その時間が中途半端であったら、泣きたくなるくらい情けなくなるだろう。
つまり、それからひと寝入りすると寝坊しそうになるのであるから。
今朝の私は、余りにも早く目が覚めて、ひと寝入りするには充分過ぎる時間があったのは、まあ不幸中の幸いであったのかもしれない。
だが、やはりというか、そうそう寝付けるわけもなく、寝てもうつらうつらとしていて夢ばかり見ていた。
夢というのは、小説にでもなりそうなほど、きちんとしたストーリーの夢もあるが大体は辻褄のあっていないものが多い。
というより、普段の自分の頭では創造しようとしても不可能なほどの、とんでもなく支離滅裂、破天荒なものもある。
今朝は、後者に近い夢がショートストーリーで次々と私の眠りの中に訪れて来てくれた。
それで、目が覚めると大体のことは覚えているのだが、詳しい内容は思い出せない。
そうして、その夢の中の印象と言うか、感覚はしばらく残っているのだが、それもだんだん薄れて行くのが常である。
大体、今朝のような状況であると、あまり楽しい夢ではないということは、皆さんにも察していただけると思う。
だが、いくつか見た夢の中で一番印象の強かったのは、なんと夢の中で「ウィンナーワルツ」を聞いているのであった。
私は、音楽は大好きである、ウィンナーワルツも、もちろん好きである。
だが実際普段聞く音楽と言えば「演歌」「JAZZ」「Jポップ」あたりがいいところで、ここ何年以上もウィンナーワルツなどは、聞いた記憶がない。
どうして、ウィンナーワルツを聞いたのか、気になって考えていたら、ずっとずっと昔の記憶を思い出した。
それは、私が中学生の時であったが、「放送部」に属していたのである。
昼休みとか、いろいろレコード(もちろんCDではありません)をかけることがあったが、その選曲は部員である自分に任せられていた。
思い出してみたら、その時結構ウィンナーワルツをかけていたことを思い出した。
ところで、皆さんはウィンナーワルツのカテゴリーはなんだと思いますか。
強いて言うとやはりクラシックですよね。
でもクラシックというと、畏まって、ちょっと敷居の高い感じのするところがあります。
しかし、このウィンナーワルツは、親しみやすくてそのような感じの全然しないところが、不思議ですね。
なお、次回は「ウィンナーワルツとワーキングプア」と題して記事をアップしようと考えていますので、乞うご期待。
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サザエさん2007.05.13 Sunday
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サザエさんは、まさに「国民的な番組」と云って間違いなかろう。
1969年10月5日から放送開始され、平均視聴率が20%前後という、驚異的な長寿番組である。
1992年に出版された『磯野家の謎 サザエさんに隠された69の謎』が200万部のベストセラーになったことを、ご記憶の方も多いと思います。
私は、あまりテレビを見るほうではないが、そんな私でも、サザエさんを見ることは結構あります。
この番組をみると、日曜日を実感してしまうから、不思議なものである。
ふと、将来の日本はどうなっているのかな、と考えたりすることがありますが、サザエさんは、放送されているのだろうなと思ってみたりします。
やはり、サザエさんは全然年をとっていないと、しょうもないことを考えてしまう。
テレビで本編と来週の予告の間で、いくつか4コマ漫画が入ります。
私はそこの「ケン玉」のところでいつも笑ってしまいます。
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北見東急百貨店閉店・衝撃走る2007.05.12 Saturday
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本日(5月12日)付け、北海道新聞の記事に下記の見出しが載った。
東急百貨店10月に閉店。
「北見の顔」消滅に衝撃。
「寝耳に水」広がる動揺。
記事によると、11日午前十時半過ぎ、北見市役所の市長応接室にて、東急側から市側に「閉店」する旨の通知がなされたそうである。
先日このブログの「北見駅前」で郊外型店舗の増加と街中商店街の空洞化について、そして昨日は「呑んべいの街・山下通り」で地方格差ということについて触れたが、このような形として現れてくると、暗澹たる気持ちになる。
しかし、東急側としても、それなりの分析検討を行い、経営上立ち行かないと判断、苦渋の選択を行ったのだろうと私は推測している。
デパートには、子供の時からの懐かしい思い出がある。
独特の、なんともいえない良い匂い。
デパートで食べたソフトクリームの味。
そうして、なぜかデパートの音楽というと「ハワイアン」が思い浮かんでしまう。
最近も時折、散歩がてら、覗かせていただいたことがある。
「デパチカ」はそれなりの、客はいるようであったが、この業界のシロウトである私でさえも、経営的には厳しいのであろうと思っていた。
というより、本音のところは、成り立つのだろうかと気になっていた。
東急が閉店となれば、北見経済に及ぼす影響は、計り知れない。
折りしも「北見市年再生基本構想(素案)」に関する説明会が開催されることになっていた。
だが、この問題を無視してこのまま進めることは、無理があると思う。
神田市長は、存続要請のため東京に飛んだそうであるが、東急側も明確な判断を下した以上、そうおいそれと態度を変えることは考えにくい。
いよいよ、北見市再生ということについて、正念場を迎えている。
大切なことは、時間的な猶予はもう無いということである、打つ手が遅れればそれだけ、状況が悪くなっていくということである。
どのような案であれ、賛成する側も、反対する側も、猶予がないということを共通の認識としていただきたい。
なお、基本構想案についての私感であるが、考え方の根底にあるフレキシビリティ(柔軟性)については大いに賛成である。
この点は、今後もぜひ踏襲していっていただきたい、そう私は考えています。
本日写したものです。
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呑んべいの街・山下通り2007.05.11 Friday
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私は、散歩が好きですが、夜の散歩もよく行きます。
そう云うと、なんといかがわしい奴だと思う方もいらしゃるかもしれません。
しかし、決してそのような者ではありません。
そのような者ではないとは、どのような者だと、訳の分からない話になりそうですが、夜の散歩は、昼とはまた違った趣があります。
私はいつも、山下通りを街外れに向かって歩いて行きます。
山下通りといえば、北見の夜の繁華街です。
「きっこ」さんではないが、ここで話をクルリンパと変えて・・・
政府の見解では、現在は好景気ということらしいが、地方の格差を含め私達には中々実感できない、というのが本音のところではないだろうか。
かつて、この界隈はもっともっと華やかであったと思う。
しかし、現在では酔客もめっきり少なく、タクシーの数ばかりが目立つ。
それでも、それなりの街のたたずまいが残っているし、一時期よりはわずかながらも、活気が戻って来ているようにも感じられる。
「鍋奉行と焼肉」「北見塩焼きそば」でも、少し触れたが、なんといってもやはり、北見は飲み屋の多い街ではないかと思う。
そして焼肉の街でもある。
道を歩いていくと、焼肉のなんともうまそうな匂いが、鼻をかすめる。
スナックからは、楽しそうに歌っているカラオケの音が漏れてきたりする。
そうして、時折すれちがうサラリーマンらしき、スーツ姿の一団。
もちろん、酒を飲んでいるらしく、大声で盛り上がっている。
かとおもうと、若いカップルが歩いていたりする。
そういう時は、少し足を速めて通り過ぎることにしている。
多少の、心くばりのつもりである。
ウォーキングされている方とも、よくすれ違う。
その格好からすぐ分かります。
私はと、いえばなんとも訳の分からない格好をしております。
ただ靴だけは、さすがにウォーキングシューズを履いている。
私はそのときの気分によって、歩きかたが変わる。
いつもは、結構早足である。
だが、ストレスがたまっていたり、あるいは何か考え事をしている時は、ゆっくりとした足並みになっている。
そうして、終点はF書店になる。
暗い道から明るいところに出るのは、結構爽快な気分です。
そこで、何かの本を手にとって見たりします。
たまには、本を買うこともあるが、そう多くはありません。
夜、足しげく通ってくる私を、店員は変な奴だと、思っているかもしれません。
その後、私は来た道をまた戻ることになる。
私には、とても仲の良いK君という友人がいます。
明日は、久方ぶりに、夜の街で飲むことになっている。
彼も、仕事のほうがいろいろ大変なようで、ストレスが溜まりまくっているようです。
大いに呑んで、歌うということになると思います。
明日、酔っ払っている二人組みがいたら、それはK君と私かもしれません。
これは少し前の冬の山下通りです。
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